木代の福田から茨木方面へ通じる山道があります。今では、山の仕事に行く人しか通らないさびれた細い道ですが、かつては、この道が東能勢から大阪に向かう最もよく利用されていた道の一つだったのです。この道の一番高いところは、垂水峠と呼ばれていますが、その少し手前の山の際に、大きな石風呂がひっそりと忘れられたように置かれています。そして、その石風呂の前には、旧頂応寺(ちょうおうじ)跡と記した石柱が建てられています。言い伝えによると、この辺りに頂応寺というお寺があったとされています。

このお寺のあったとされる辺りを少しばかり調べてみると、土中から土器の破片がでてきます。もう30 年近くも前になりますが、私も調べたことがあります。発掘した破片を復元して完全な土器として蘇らせました。その結果、平安時代末期から鎌倉時代のものであることが判明しました。その昔、ここで人々が生活をしていたのだということを確かめることができました。

しかし、この頂応寺というお寺については、東能勢村史にも、豊能町史にも記載されていません。東能勢に残る貴重な遺跡の一つですから大切に保存し、何らかの機会に詳しく調査がなされ、その全容が明らかになればと期待しています。

それともう一つ、この石風呂のことです。以前にも東能勢には3>つ存在したと書き、その時、切畑にあった石風呂の近くの地名に湯谷岳と、湯に関係ある言葉が出てきましたが、この頂応寺跡の後ろの山の地名も湯山というのです。やはり湯に関係がありそうです。

ひょっとしたら本当に、当時は湯が湧いていたのではないでしょうか。