川尻の法輪寺の前に大きな3基の石塔が建っています。地元の人たちは、この石塔に親しみを込めて「法輪姫(ほうりんひめ)の塔」と呼んでいます。では、この法輪姫とは一体どのようなお姫様であったのでしょうか。またまた残念ながらという結果ですが、現在では、もう何の言い伝えもなく想像する手がかりさえ残してくれていません。今から80年程前に書かれた東能勢村史にも、「この姫のことについては分からない、ひょっとしたら法輪寺に関係ある人ではないか」というにとどめています。

そこで勝手な想像を働かせるならば、この3つの塔の中央にあるものには、文和4 と刻印してあります。文和4年は1355年で、歴史的にはわが国は、南北朝時代といわれていた戦乱の時代です。この年には、京の都を南朝方が奪ったり、北朝方が取り返したりと激しい戦いが繰り広げられていたころです。ひょっとしたら、「この戦いを逃れて静かな東能勢にやってきていたお姫様が、何かの病に倒れて亡くなったのでは」と推測することも一つの考えとして浮かんできます。いずれにしても東能勢では、最も立派な石塔なので、何か大きないわれが秘められていることでしょう。さて皆さんはどう推測しますか。