東能勢の伝承文化で最も有名なものといえば、やはり猪子餅のことではないでしょうか。今ではもう行われていませんが、江戸時代に出版された「摂津名所図絵」という大阪周辺の名所や有名な行事を案内した本の中にも能勢の猪子餅として伝えられています。

猪子餅の調進(品物を整えて納めること)と言うのは、歴史は古く、伝えられているところによると、古事記の世界にまでさかのぼります。何でも当時この地で国を揺るがす大きな戦争があって、神功皇后軍が窮地に追われたが、そこに現れた猪が敵方の大将を襲って味方を救ったので、それを祝って毎年猪の月の猪の日にもち米と小豆でお餅をついて、御所に調進するようになったというのです。
猪子餅は木代と切畑の軒の家が執り行っていたということです。今もそのお家には当時お餅をついた道具が残されています。何年か前にその行事の様子を再現されたことがありますが、身を清めることから始まり、大変厳かにそして華やかに行われていたようです。出来上がったお餅は、早朝に東能勢を出発し、亀岡を経て京都に入り御所に調進したというのです。だいたい20ぐらいの量であったと書かれています。一方お餅を受け取った御所からは、そのお礼としてお米をいただいていたそうです。その量は以上になります。量だけから判断すると倍ものお礼をいただいていたことになります。
余談になりますが、南北朝時代の事を物語にした「太平記」の中には、当時日々の食事にも苦労していた御所での猪子餅を食べる様子が描かれています。