貝川三位長乗と東能勢の開発 アーカイブ
豊能町の歴史をひも解いてみると必ず顔を出してくるのがこの貝川三位長乗という人物です。それらの多くは、貝川三位長乗について次のように記しています。「12世紀初期の鳥羽天皇のころ、藤原長乗、通称貝川三位長乗という人物が、一族郎党36人を引き連れてこの地に来住して開発し、木代の荘をつくった」というものです。12世紀初期の鳥羽天皇のころといえば平安時代の末期です。貴族が力をなくして武士である平氏が台頭してくる時で、中尊寺の金色堂が造られた頃にあたります。


では、まったくの作り話であるのかといえば、そうでもないようで、この時代に大円や木代には、都からお坊さんなどが移り住んでいたり、当時の石仏が残されていたり、また、これも言い伝えですが、長乗のお墓といわれるものや、長乗を記念して造られたという石仏や、その近くの橋の名は、今も三位橋と呼ばれていたりして、至る所に長乗の足跡が刻まれています。このように貝川三位長乗伝説はどこまでが事実で、どこからが作り話であるのかはっきりしませんが、その一つ一つをじっくりと探求していくともっともっとこの人物像がはっきりと浮かび上がってきて、東能勢の歴史も解き明かされてくるのではと思います。

登録日: 2004年3月31日 /
更新日: 2004年11月10日